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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第五章 エクアドール共和国

ドラゴンボール的シャマニズム


彼等の宗教にはもう一つ面白い共通点がある。それはシャマンが魂をコントロール出来るということである。シャマンはいい魂を人に与えたり悪い魂を取り除いたりする事が出来ると考えられている。そして彼等にとってはその魂や精霊こそが病気になったり健康になったりする原因である。それだけならまだいいが、シャマンは人に対して悪い魂を送る事が出来ると信じられている。ここにAさんという人がいるとしよう。彼は隣村のBさんに恨みがあるとする。するとAさんはシャマンにお金をはらってBさんに悪い魂を送るように頼む。悪い魂を送り込まれたBさんはたまったものではなく、別のシャマンの所へ行ってAさんへ仕返しをしてもらう。するとAさんとBさんのシャマンの間で悪い魂が戦場における砲弾のように行き交う事になる。もし腕のいいシャマンだったら自分の顧客のためにバリヤーをはって送られてきた悪い魂を跳ね返す事が出来るし、跳ね返された悪い魂は送り主へ戻って行き被害を与えると考えられている。まさにドラゴンボールの世界である。この争いはひどい時には村と村のちょっとした戦争の様な態をなすこともあるらしい。

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バリヤーをはるというのはメヘバでは聞いた事ないが、それ以外はアマゾンとメヘバの両社会でまったく同じである。そして問題は、当たり前のことだが、シャマンは殆んど当てずっぽうで喋るわけであり、いつも正しい事を言うわけではないという事である。シャマンはアイオワスカを飲んで幻覚のなかで診断をくだしたり予言したりするわけであり信憑性のかけらもない。病気になったBさんが、シャマンから「その病気はAさんの悪巧みです」と言われたとしても、多分Aさんは無実の人だろう。しかしBさんにとってはシャマンの言葉を信じるしかなく、当然憎悪が腹の底に宿ることになる。その辺りの事を現地の人に質問すると、メヘバでもアマゾンでも必ず言う、「シャマンには善いシャマンと悪いシャマンがいる」と。これはシャマンの中には能力のない者や悪意のある者がいて、患者やその周りの人達に害を及ぼしてしまう場合があるという事である。ひどい場合いはシャマンの一言で人の人生を変えてしまう事だってありうる。

そんな不幸を目の当たりにした事がある。ある日我々ボランティアが近くにあった村の祭のような宴会に招かれた事がある。その日は村総出で我々に昼食をご馳走してくれる事から始まった。大きなバナナの葉に盛られたご飯はお世辞抜きに美味しく、彼等が演じる寸劇はスペイン語を喋らないボランティアでも理解できるように工夫されていた。客人には必ず進められるキャッサバのチーチャは相変らずまずかったが、それとは別に出されたトウモロコシのチーチャは発酵時間を長くしてあるためかまろやかな味がして美味しかった。生バンドに合わせてインディヘナ特有のダンスも披露してくれた。

そんな宴会の合間に友達と話し込んでいた。私はその村を訪れるのは初めてではなく、何人か顔見知りがいたので彼等と雑談していた。それは完全にインディヘナの村だったのだが一部スペイン語を喋る人がいて、その顔見知りの中にひとり元気のいい奴がいた。三十に近かった私の年と同じくらいであり、潰れたような顔と横に伸びた目が特徴的で奇顔と言えた。彼は我々がステレオタイプとしてもっている田舎人のイメージと全く同じで、人懐っこく、繊細というより素朴で、冷静というより温和な性格を持っていた。喋る時はいつもニコニコしており、外国人である私にもいろいろ話しかけてくるような外向的な性格だった。

彼からシャマニズムの話をいろいろ聞いていた。例えばその村である裕福な男が大きな家を建てようとした事があったらしい。それは現地では珍しく数階建ての高い家で工事は着々と進んでいた。しかし完成直前にその家は崩れ落ちたそうである。アマゾン版バベルの塔と言ったところだろう。そしてその原因は、その完成しつつある大きな家を嫉妬した人がいて彼がシャマンの力を借りて崩壊させたという事らしい。真否のほどは確かめる事は出来ないし、部外者にとっては単に力学上の問題で崩れ落ちたとしか思えないのだが、少なくともその村ではシャマンの力で崩れたと信じられている。嫉妬と言う意味ではメヘバもアマゾンも地域社会の重要な要素をなしており、お金持ちになった難民が周りの人々の嫉妬心をあおりシャマンを使って制裁を受けたという話を聞いた事がある。またアマゾンのインディヘナもメヘバの難民もよく自分達は嫉妬深いと言う。人の関係が強い小さなコミュニティーでは、愛情や嫉妬といった感情の濃度が上がるのかもしれない。

そしてどういう流れでそういう話になったか憶えていないが彼の父親の話になった。彼の父親は数年前に亡くなったそうだ。自分の父親が死んだ話をしていたのだから悲しい表情をするのは当然だし、言葉数が少なくなるのだったら自然な事だろう。しかしこの時の彼は違っていた。無関係な私に掻きくどくような口調で訴え、目は殺気を帯びていた。

「俺の親父は隣村の奴にシャマンを使って殺されたんだ。」

それしか可能性がないような確信を持った言い方だった。いつもはニコニコしている彼を、一瞬だけとはいえここまで殺気立たせるのはシャマンの文化のネガティブな面だといえるだろう。

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