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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第一章 メヘバ難民定住地

難民キャンプに入り、ネズミと戦う


ザンビアに着いて四日目に私の赴任地である難民キャンプに向かった。車は例のピカピカパジェロだった。初めてのアフリカの大地はさすがに広く、樹木が密集してないサバンナ的な植物相のためか車が丘の上を越える時などかなり遠くまで見渡すことができる。大地に広がっている緑がまぶしい。キトウェ、チンゴラという銅鉱山で潤った都市を抜けキャンプに近づいたころには日は落ちており、電気が来てないこの地は真っ暗だった。先進国ではどこに行っても街灯があり、ネオンや自動販売機の光があり、暗闇のなかに身を置く事はほとんど不可能と言っていいくらいである。頭上に星が瞬いている以外には光というものがまったく存在せず、そんな闇の世界に違和感を覚えてしまう自分がいかに先進国の人間であるかという事を思い知らされた。 我々の車は漆黒の闇という自然の中を進んでおり、車のヘッドライトが作り出す人工的な明るさが妙に不自然だった。

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この難民キャンプは正式名称をメヘバ難民定住地(英語名 Meheba Refugee Settlement, 以下メヘバ)という。今までは簡単に難民キャンプという言葉を使ってきたが実際には難民定住地であり正確な意味での難民キャンプとはちょっと違う。難民「キャンプ」と難民「定住地」の違いは、難民の一時的収容所のことをキャンプと呼ぶのに対して、彼等が長く生活していく場所を難民定住地と呼ぶという事である。戦争や政治的理由により国を捨てた彼等は、政情が安定すると祖国へ帰っていく。しかし時にして内戦などが十数年も続き、長い間祖国に帰れない場合がある。そういう時は国連難民高等弁務官(UNHCR、国連の難民援助活動を統括する組織)や難民受入国は難民を定住地に入れ、長期受け入れを前提とした政策・援助を展開していくことになる。

メヘバに日本人ボランティアは私を含めて二人いた。もう一人は元看護婦の母性愛あふれた女性だった。彼女は医療分野での経験を活かして、主に現地医療施設に対する医薬品の配布や保健・衛生のコミュニティーワークを担当しており、彼女と二人で現地人ワーカーを率いてプロジェクトを進めていた。住んでいた建物はコンクリート造りで難民定住地にしては大きく、寝室が六つ、リビングが二つ、台所一つ、シャワー一つ、トイレが二つあった。水は毎晩ポンプで屋根の上に設置してあるタンクにくみ上げ、それを水道管でつないで台所やシャワーの水として使用していた。私が所属していた援助団体はメヘバで十年以上もプロジェクトを続けており、昔は日本人ボランティアが十人近く居たこともあったらしい。その為そんな大掛かりな設備や多くの部屋があったわけだが、我々二人には大きすぎた。使われてない部屋には埃が溜まり、リビングにあるソファーからは異臭が漂い、掃除が行き届かないためにはっきり言って汚い所もあった。物質面から言うと難民定住地という環境からかけ離れたすばらしい設備が整っていたのだが、それでも日本のレベルから言うとかなり劣悪だと言う事ができただろう。昔使われていた食品倉庫というものがあったが、そこには三年前に賞味期限が切れた缶詰などに混じってネズミの糞が散らばっていた。

このネズミが曲者で、めんどうくさいままにほっておいたら数が増え、毎朝台所や食堂のテーブルの上にまで糞が散らばるようになった。夜中にネズミが食堂の中を我が物顔に走り回り糞を排泄していくのだ。その食堂はコンクリート造りだったが、冷たいコンクリート壁の質感を隠すために木の板を並べて打ち付けてあった。そのコンクリートと木の板の間には五センチにも満たない隙間があったのだが、そこがネズミの通路になったらしく、板を噛み散らかし、大きな穴があいていた。夜には、俗に言う大運動会が開かれネズミが屋根裏を走る音が響きわたった。難民定住地は夜になると本当に静まり、音という音が聞こえてこないのだが、そんな中で突然聞こえてくるネズミの音は妙に響き渡るものがある。私は自称、他称ともに図太い神経をもっているはずだが、フライパンの上に散らばる糞や毎朝かじられたパンなどを見るとさすがに自分達の健康が心配になった。近くに設備の整った病院がない環境では健康管理は優先事項であり、ほぼ自己防衛として本格的なネズミ対策に乗り出した。

と言ってもたいしたことをやるのではなく、猫を飼い始めただけである。現地ワーカーの知り合いから子猫を譲り受けペット兼ネズミハンターとして飼い始めた。私は別に動物愛護主義者というわけではないがその子猫には思いがけず感情移入してしまった。真っ白で手のひらに乗るほどに小さいその猫はかわいいだけでなく、神秘的でさえある生命体だった。俗に子猫のようなかわいい娘とか、子猫のような小娘という誉め言葉があるが、その猫を見ていてやっとその意味がわかった。彼女の行動は天真爛漫で、かといって乱雑ではなく、飼い主である私に媚びることを忘れなかった。夜に書類の整理をしていると膝の上に登って来てうずくまってしまう。そのまま腕を伝って肩まで登り、そこから私の頬へキスをする。まるで私の感情を手の上で転がすような彼女の行動は、私にとっては驚きであり新しい発見でもあった。

そんなかわいい子猫でも本能というのは激しく機能しているらしい。彼女を飼い始めてめっきりネズミが減った。毎朝見る糞の量が目に見えて減ったし、かじられているパンや壁もかなり少なくなった。

アフリカ大陸全体でもそうだと思われるが、メヘバでも寄生虫病が多かった。有名なマラリアは蚊を介してうつるし、ビルハルジアは川の水をから感染する。これら二つは我々の援助団体でも重点的に対策を講じている悪質な寄生虫病である。あと一つ人の足に棲み付く比較的軽い寄生虫病もあった。これは普段は家畜の体毛に潜んでいるのだが、ある季節になるとそれが人間にも感染し悩ませる。最初は足の先に棲み付きそこから子孫を増やす。初期症状は足の先が痒いと思う程度だが、二日か三日するとつま先の皮膚の下に膿みたいな物が出来る。それは膿ではなくて、寄生虫の幼虫である。白くてうじ虫の様なその寄生虫は、ほっておくと倍増するのでなるべく早く取ってしまわなければならない。ナイフで皮膚を切り裂き、用心深く、虫を丸ごと取り出す。ちょっとした技術が要るが慣れてしまうと簡単である。上手くやれば痛くもないし、足を清潔に保てば何の問題もない寄生虫である。私も最初は面白がってその幼虫を取り出していたが、そのうち飽きてつまらない日常作業の一つになった。

そしてその寄生虫は猫にも感染すると言う事が分かった。人間の足に二匹の幼虫が育ってもたいしたことないが、子猫の小さい足に五匹も六匹も固まって寄生したら足そのものが変形してしまう。そのうちびっこを引いて歩くようになりほって置けないようになった。嫌がる猫を押さえつけてナイフで取り出した。指のあいだに二匹が固まって寄生していた部分があったのだが、そこなどは取り出した後に大きな穴が開きばい菌に感染しないか心配なくらいだった。一応、全て取り出したが数日後にはまた寄生していた。もう一度ナイフで取り出したのだが今度はお腹やしっぽにもいることが分かり、それも全て始末した。こうなればもう寄生虫と根競べで、取り出しては新しく寄生し、またそれを取り出す、という事を何度か繰り返した。この寄生虫に対処するには体を清潔に保つという事が重要であるのだが、汚い床や棚の裏を歩き回る子猫に対してはそれを求めるのは無理と言うものであり、そのために寄生虫退治も進まなかったのかもしれない。

二週間くらい経っただろうか、急に子猫が見当たらなくなった。外をほっつき歩いているのだろうと勝手に思っていたのだがそうではなかった。数日後に死体となって見つかった。純白だった毛並みは灰色にくすみ、目は大きく開いており、硬直した体からは異臭が漂っていた。全身が寄生虫に蝕まれていた。

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