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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第三章 バックパッキングⅠ

ある町から首都への極寒移動


このツアーが終わった町も塩湖と同じくウユニという名前だったのだが、たいして大きいわけではなく大きめの村と言っても差し支えないほどの規模だった。ただ発展途上国の過疎部ではただの村と近隣の村人が集まる小さな都市機能を持った町の違いがはっきりしており、ウユニも町というのにふさわしかった。まず市が立っていた。我々がウユニの町に着いた時も大通りに市が立っており、食品や衣類からプラスチックの台所用品まで様々な物が売られ、屋台の食事屋では家族が団欒の時を過ごしていた。

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経済的にはチリ側とうって違って貧しくなっている。彼等の服の清潔度や市で売られている商品の質や包装の粗雑さなど典型的な第三世界の市だった。アフリカでもアジアでもそうだが貧しい社会では中国製品が豊富に売買され、ラジオや乾電池など基礎的な電気製品からプラスチックなど石油化学製品まで中国製が目立つ。国際貿易というと先進国の企業や輸出入ばかり取り上げられがちだが第三世界では中国の安い製品が人々の生活を支えている。

ウユニが町としての機能を持っていると感じるもう一つの理由は、ここが首都ラパスや近隣都市へのバスの発着地点になっている事である。バスの発着所は目的地によって違うのだが出発前になるとバスの周りで旅を準備する人が集まってくる。これも他の発展途上国と同じだが彼等はバスに何でも載せる。通常は大きなかばんに物を詰め込みそれをバスの屋根に載せるのだが、どうかすると農作物やビールなど到着地で販売すると思われる物や、家具やガスコンロのように引越しをやっているのかと思わせる物まで積む。バスの中で飲むためのコーラやミネラルウオーターなどの物売りも行き交いバスの周りは人ごみでごった返していた。なかには毛布を売っている売り子までいた。

ここで一緒にツアーをやった友達とは別れた。スイス人の青年は夜行バスでポトシという植民地時代に銅鉱で栄えた町に行く事になったし、私とロンドン在住の日本人女性は別の夜行バスで首都ラパスまで行く事になった。イギリス人の中年夫妻はウユニに留まり次の日にラパスに来るという事になった。

彼等と別れて日本人女性と一緒にバスに乗り込んだ。乗客は多少西洋人のバックパッカーもいたが客の大半がボリビア人で女性は民族衣装に身を包んでいた。オンボロで薄暗いバスに溶け込んでしまうような暗色系の民族衣装だったように記憶している。彼等は異様に着込んでいて毛布を必ずと言っていいほど持ち込んでいたのだが、それを見てボリビア人はこんな高地に住んでいながら寒がりなのだな、などとのん気に思い込んでいた。しかしそれは間違いで自分の間抜けさをいやというほど思いしらされた。その夜行バスはアンデス山脈を通り、最低でも標高二千メートルから三千メートルの所を通ったはずである。地獄の寒さだった。寒くなると分かっていたので一応着込んではいたのだが焼け石に水とはこの事で全然役に立たなかった。ボリビア人が毛布を持ち込んでいたのが凍えながらやっと分かったし、バス停で毛布を売るという商売が成り立つのも分かった。そのオンボロバスは前のドアが開いているのか壊れているのか、それともドアその物がないのか分からないが風が自由に入ってきていた。乗客で満杯のバスが凍えるくらい寒くなるくらいなので車外は相当の寒さと風だったはずである。

乗客の荷物は全て屋根の上に載せてあったのだが、事前に寝袋を抜いて座席まで持ってきている利口なバックパッカーは暖かそうにしていた。それを忘れていたか、私みたいに寝袋をもってきていない人は私と同じ運命にあっていた。夜なので周りの景色や道の状況はわからないが、道路が悪いというのは分かった。未舗装道路でがたがたと揺れているだけではなく、大きなくぼみや石などに乗り上げているのが分かる。寒さと揺れで殆んど眠れなかった。

次の日の早朝にはラパスについた。例の日本人女性と一緒にホテルを探し始めたのだが、寝不足とバスの揺れと寒さで疲れきった体で重いバックパックを背負って歩くのはきつかった。その上ラパスは坂道の多い都市でホテルへ登っていく坂道は一段と急に感じられた。チェックインするなり、その日はすぐベッドに入った。

ボリビア自体はいろいろ見所のある国なのだが、首都ラパスはあまり観光向きの町ではない。一通り街を見てしまうと、映画を見たり、日記を書いたり、インターネットカフェで友達にメールを書いたりとリラックスしながら街の雰囲気を味わっていた。ラパスに来てちょうど二、三日した時、ウユニのツアーで一緒だった日本人女性と一緒に夕食を食べにいくことになった。たまたま同じ部屋に泊まっているイギリス人と知り合いになり彼も同席する事になった。適当なレストランを見つけ入ってみるとなんだか大学の食堂みたいな所だったが、まあ仕方が無いのでそこで夕食を注文した。三人でいろいろ話したのだが、ここで問題が出てきた。

その日本人女性は典型的な日本嫌いで何かにつけては日本を批判しようとする。それはウユニのツアーの時もそうで二日目の夜にみんなでバーにいった時も彼女の日本批判はとどまるところを知らなかった。彼女は生まれも育ちも日本である。短大を卒業して日本で数年働いたあと渡英した。英国人と結婚し、その後離婚したのだがそのままイギリスに住みつづけている。もう中年の域に達している彼女はロンドンで自分のマンションを購入しており多分英国に永住するだろう。日本で働いていた時に受けた女性差別が彼女の日本論の根底になっているようだった。たしかに女性だという理由で出世を阻まれたり、結婚退職を迫られたりする現実はある。ただそのために私の前で、私がまるで日本人男性代表のようにして批判の矢面に立たされるのには閉口した。同席していたイギリス人も好い面の皮だった。険悪な雰囲気をどうにかしようと必死で話題をかえたり彼女をなだめたりして大変だった。

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