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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第五章 エクアドール共和国

アフリカ人とアマゾン先住民族の共通点


そして、自分がアマゾンにいるんだという事をひしひしと感じつつも、私の思考はアフリカまで飛んでいってしまった。肉体はアマゾンに存在しつつも、メヘバでの体験が奇妙にまとわりついていた。それはある難民の車に乗せてもらった時だった。彼は貧しい難民の例外中の例外とも言える人で、自分で商売を始めて裕福になり自家用車を持っていた。彼の車に乗ってみるとサイドブレーキの所にペットボトルが置いてあり、何かえたいのしれない液体が入っていた。聞いてみると、

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「トウモロコシで出来た飲み物で、これは昼飯代わりだよ。飲んでみなよ。」

と気軽に言う。おそるおそる一口飲んでみると、物凄くすっぱく思わず身震いしてしまった。そのすっぱさもびっくりしたが、彼ほどのお金持ちが昼飯をまともに食べないというのは理解できなかった。が、今考えるとうなずける。私がアフリカで身震いしてしまった飲み物もチーチャも要は同じ飲み物である。メヘバの場合は主にトウモロコシで作られていたのだが、味はアマゾンのキャッサバのチーチャとそっくりである。作り方も同じでつぶしたトウモロコシを水につけて一晩発酵させて飲む。そしてアマゾンの場合と同じように食事の代わりになる事があり重要なカロリー源とみなされていた。メヘバの難民もこれさえあれば食事なしで一日中働けるとよく言う。

トウモロコシもキャッサバも中南米が原産であり、大航海時代にアフリカへ持ち込まれた。数世紀経っているとはいえアマゾンとアフリカで似た食物を同じように消費している事が面白く、大西洋をまたいだ文化の類似点を感じずにはいられなかった。私は農家の奥さんにチーチャを進められるままに飲み干していたが、思考はアマゾンとメヘバを行き来していた。

作業仲間全員がチーチャを飲み終わると帰途についた。帰りも二時間くらい歩いたのだがぜんぜん疲れなかった。そしてジャングルの中を歩きながらも私の思考はまだアフリカから離れることが出来なかった。チーチャに加えてもう一つアフリカとアマゾンの文化で酷似していることがある。それはシャマニズム風の土着宗教である。シャマニズムはシベリア起源の原始宗教とされている。インディヘナの人々も元々はシベリアからベーリング海峡を渡って南北アメリカに散っていった民族であり、彼等の宗教もシャマニズムの流れをくむ。日本の原始神道もシャマニズムの一種である。アフリカの場合はシベリアと何の関係もなく、彼等の土着宗教をシャマニズムと呼ぶのは正確ではない。しかし双方とも相似点が多く、アフリカの土着宗教も広義のシャマニズムの中に入れられる事が多い。

まず双方ともけがや病気を治す医者としての役割がある。メヘバでは人気のあるシャマン(巫女やそれに似た祈祷師のこと)は治療所を運営しているだけでなく、大きなものになると広い敷地に入院用の小屋が並んでいるような所まである。当時私の現地の友達がある変な病気にかかりこの治療所で治そうとした事があった。症状は足首が腫れ上がっているだけなのだが、かといって化膿しているようにも見えない。患部は異様に固く全然曲がらないし、強く押すと痛がるがそれ以外には症状はない。熱も無く、別にけがが原因でこうなったわけでもない。前述のとおりメヘバには簡易診療所があるので彼も最初はそこで診てもらっていた。ただそこには専門的な医療機器があるわけでなく、高度な医療教育を受けた医師が居る訳でもなく、結局診断がつかなかった。

この友達はキリスト教徒でもある。しかし他のほとんどの難民と同じで彼は土着宗教とキリスト教を同時に信じている。ちょうど日本人が神道という日本古来の土着宗教と仏教という世界宗教を同時に信じているのと同じである。彼等もまた西洋医学を信じており通常の診療所へも行く。しかし診療所で病状が改善しなかったり、もしくは診断が下されなかったりすると信仰療法所へ行く。ここで重要なのは信仰療法所の方が通常の簡易診察所より数倍高いという事である。簡易診察所は政府が運営しており、また我々援助団体から様々な援助を受けており無料に近い値段で診察を受け事ができる。しかし信仰療法所ではそれなりのお金がかかるし、場合によっては一家の財産が吹き飛ぶくらいの額を請求される事もある。それでも彼等はすがりつくように信仰療法師の所へいく。彼等の言い方として「アフリカには特別な精霊が住んでおり、その精霊はアフリカ人にしか影響を及ぼさず、アフリカ人にしか治せない」というのがある。

この友達が信仰療法所に入院したので御見舞いに行った事がある。信仰療法所の中には外国人が入れない場所もあるがそこは大丈夫だった。その治療所は垣根で囲まれており、中に入るときれいに清掃されていた。土壁にわらぶき屋根の簡単なものだが入院用の小屋が並んでおり、それがなかったら普通の民家と見まちがうだろう。入院といっても食事が出るわけではなく、付き添いの家族が小屋の周りで火をおこしてシマを作っていた。並んだ小屋に斜めからさす朝日が美しい陰影を作っていた。

私は本来非宗教的な人間で、原始宗教だろうが仏教・キリスト教だろうが人間の信仰という事に対して尊敬心が薄く、宗教人の言う事の大半は眉唾ものだと思っている。この日も信仰療法師がどんなやり方で彼等の言うところの「治療」をやるのか見極めてやろうと目を皿にして見ていたが、彼がやった手品みたいな治療のネタはとうとう見破れなかった。そのシャマンはまず小さなヤギの角のような物の基を患部に当てて角の先を口で吸い始めた。中は空洞になっているその角は彼が数分間根気よく吸い続けると患部に張り付き、少しの間そのままにされていた。面白かったのはそれからである。彼がその角を患部から外すと中から固まりかけた血のような物が出てきた。質的には半熟卵の黄身のようであり、しかし色は少し黒味がかった赤であり、それが何であり(角のなかに仕込んでいた事は明白だとしても)どうして角を吸った後にだけ出てきたのか全然分からなかった。その赤い物質を指差しながら彼は医者が摘出された癌を説明するような顔で冷静に言った、

「これが悪い精霊だ。これが患者の足首に悪さしてるんだ。」

先進国でさえ一部の人は超常現象を信じている人もいるし、水晶球やタロットカードに自分の未来を託す人もいる。それに比べるとこの信仰療法師は目の前で「悪い精霊」を取り出すという離れ業をやる事ができる点で信憑性も増すのだろう。この治療を手品としか思ってない私でさえネタが分からないのだから、信仰療法の文化のなかで生まれ育った彼等が信じないという方がおかしい。その友達は悪霊が自分の足から出て行った事で少し安心していたし、また外国人の私にアフリカの悪霊の存在を証明できた事が嬉しそうでもあった。しかし私は彼を見舞った後に家に戻ろうとしている時もシャマンの「手品」を考えていた。信仰療法というのは時として患者に不適切な治療を施す時があり、我々の地域衛生教育でもシャマンの所へはあまり行かないように言っていた。ただ彼等の伝統文化がそう簡単に変わるはずもなく、今日のように腕のいいシャマンがいる限り人々が信仰療法をやめる日は遠いだろうと思われた。

アマゾンの信仰療法でも似たような事をやる。ハトゥン・サッチャでは週に一度、一日トレッキングを企画していた。ここには森林オフィサーともいうべき現地人ワーカーがいたが彼等の通常の仕事は一日中ジャングルの中を歩き回り、保護区内で違法に木を伐採したり狩猟したりする人がいないか見回りをする事だった。しかし週に一度だけは、一人ではジャングルを歩き回れない外国人ボランティアのためにトレッキングに連れて行ってくれていた。そして歩きながらジャングルの生態系や現地文化などいろんな事を教えてくれていた。

その森林オフィサーにドン・ガブリエルという人がいた。ある日彼がリーダーとなってトレッキングをしている時、彼の父親の話をしてくれた。彼の父親はこの地域では名の売れたシャマンだったらしい。南米におけるキリスト教の歴史は植民地時代と共に始まっており、彼の父親の時代にも当然ジャングルの文化圏にまで広まっていた。ある日、てんかんのような症状を出した子供がいたらしい。彼は病院へ担ぎ込まれ、ヨーロッパ人伝道師達は医学の知識があったためすぐに手当てを始めた。しかし症状は全然回復せず、それを見たドン・ガブリエルの父は早速用意を始めた。

シャマニズムの特徴の一つはシャマンが無我やトランスの境地に入りお祈りや占いをやる事にある。アマゾンのシャマニズムはそれをやる技術も回数もおそらく世界有数の宗教だろう。アマゾンにはアイオワスカという固有の植物がある。つた類なので他の木に巻きついているのだが、大きなものになると人の腕ほどになる。これを小さく切って茹でたら幻覚剤になる。多量に服用すると幻覚と共に嘔吐や下痢という副作用がひどいが、シャマンのように体がなれると簡単にトランスの域に達する事が出来る。ドン・ガブリエルの父はアイオワスカを飲み、幻覚の中でその子供を観察するとなんと体の中に悪い鳥が取り付いていると診断した。日本で言うなら狐に取り付かれたと言うところだろう。そこで彼は子供のお腹に手を当て体の中から鳥を取り出すと、その鳥は飛んで行ったという。この話はアマゾンのシャマンは人の体から鳥を取り出すほどすごい宗教だという事だけではなく、西洋医学やキリスト教でも出来ない事をやれるのだ、という多少の自負の念がこもっている。これを見てからというものヨーロッパ人伝道師達さえも現地シャマニズムに一目置くようになった、とこの話は締めくくられている。

人の体から血の塊を取り出そうが鳥を取り出そうが、それを目の前で見たらびっくりするだろうし、信仰心も強くなるだろう。日本の昔の祈祷師でも、カトリックの聖人も中には手品まがいの事をやって自分の生活を支えていた人がいただろうが、そういう事をやるのは現代医学が存在しなかった当時では自然なことだっただろう。そして現代でも充分な設備の整ってない病院へ行けない人達はこまった時には信仰医療に頼るしかなく、そういう意味では彼等は現地社会に需要を満たしているとさえ言える。

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