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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第一章 メヘバ難民定住地

勤勉で能力のあるアフリカ人: いくつかの事例として


一般的な先進国の人間はそういったアフリカの現状について無知と言ってほぼ問題ない。私自信もアメリカ黒人の知り合いは少しはいたものの、アフリカについては何も知らない状態でメヘバに来た。「もしかしたら彼等の能力は先進国の人間ほどではないかもしれない」という可能性も考えていたし、「発展途上国の農村で生まれ育ち、教育を十分に受けなかったら人間の能力は劣ってしまうのかもしれない」という仮説も考えながら彼等の事を観察していた。メヘバで生活していてもそういう疑問が頭から放れず、自然とそういう目で彼等を分析しようとしていたように思える。しかしそのお陰で彼等を見る眼が複眼的になり、結果として彼等についての理解は深まっていったのは事実である。

あたりまえの事だがアフリカ人は劣ってないし、なぜそういう結論に達したのか少しずつ説明していきたいと思う。ある日、仕事が終わり近くの店で酒を飲んでいた。店といっても雑貨屋で、洗剤や鉛筆や食用油まで売っており、その雑多な商品のなかの一つとしてビールや地酒を飲ませていた。夜になると蝋燭を灯し、暗闇のなかで他の客の顔だけが浮かんで見える様は異様とも神秘的とも言える不思議な雰囲気をかもし出す。現金収入のないアフリカの僻地ではお金をだして酒を飲める人は少なく、いつ行っても同じ顔ぶれの客だった。しかも常連客の一人は私と一緒に働いている現地人ワーカーであり彼を通して比較的簡単にその場に溶け込むことができた。

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どういう理由で彼がそんな事を聞いたのかは分からない。その店で飲んでいたある友達が二千年問題について私に聞いてきた。当時一九九九年十一月くらいで、ちょうど二千年問題がマスコミをにぎわせていた。しかし、メヘバにおいてはマスメディアの影響というのはないに等しい。また、繰り返すようだが電気が来てない。我々援助団体は小型発電機を使用しコンピューターを含めた多少の電気機器を利用しているが、この彼が扱ったことがあるとは思えないし、多分見た事さえないだろう。私は二千年問題についてまったく無知ではなかったので一応簡単に説明したが、説明しながら彼の知的好奇心という事に感じいっていた。

彼がどこから二千年問題の知識を得たのかは知らないし重要でもない。重要なのは彼がそういう世界の動きに関して興味があり、知りたいと思っていたことだ。当然の事ながらほとんどの難民は二千年問題なんて知らないし興味も持ってないが、私が飲み屋で知り合ったような人間も存在するということは難民社会の多様性というものを表していた。実際難民といっても一生懸命働いて、自分の車を持つまでになっている人もいる。自分でまったく畑を耕さず、農作物の売買だけで生計を立てている商人もいる。数ある難民のなかでほんの一部とはいえ彼等は誰の助けも借りず、自分の努力と才覚だけでのし上がろうとしていた。そういった視点でメヘバ社会を見ているとまったく違う一面が見えてくる。

メヘバで活動していると、紙・鉛筆や車・バイクの燃料からコミュニティーワーカーが使う自転車の部品まで、様々な物資が必要になる。それは近くのソルウェジやチンゴラ、物によっては首都ルサカで購入することになるが、ある日その物資購入のためチンゴラまで行くことになった。道がコンゴ国境に平行して走っているちょうどその付近に達した時、自転車の荷台にヤギを括り付けてペダルを踏みつづけている人がいた。気になったので運転手に聞いてみた。

「彼はヤギ商人だよ。ヤギをコンゴまで売りに行くんだ。」

そしてびっくりしたのは次の言葉である。

「彼等はメヘバからああやってヤギを自転車に括り付けて持っていくんだ。」

私はてっきり国境沿いに住んでいるザンビア人の農民だろうと思っていたのだが、なんとメヘバから来ている難民らしい。彼等が実際にどの国境の町まで行くのか分からないが、最低でも片道二百キロ近くはあるだろう。自転車といっても、中国製のぼろいやつでいつ壊れるかもわからないし、スピードも出せない。ヤギとはいえ小柄な女性程度の重さはあるはずであり、実際彼はゆっくりとペダルを踏んでいた。往復するにはどう考えても一泊や二泊は必要だし、国境での売りさばきに手間取ると三泊以上になるだろう。そんなに宿に泊まったら、ヤギ一匹じゃあ利益もでないだろう。すると運転手は、わけもなく言う。

「その辺に野宿するのさ。俺達アフリカ人はなんでも来いだからね。」

彼の言葉に二度びっくりする間に我々の車は時速百キロでヤギ商人を追い越していった。

私は以前、韓国を一週間野宿旅行したことがある。別に安ホテルにとまってもよかったのだが、ちょうどお金を貯めている時期だったということもあり、けちな旅行をすることにした。寝る場所はだいたい駅前だったのだが、ダンボールを敷いて旅行かばんを枕にして横になると、地面の固さよりも守られてない空間で寝るという事の方が気になった。実際に何度か駅員さんに起こされたりもした。肉体的に疲れるというよりも、心理的的にくつろげる空間がなかったという事のほうがなじめなかった。

韓国にはけっこう銭湯があり、しかも往々にして仮眠室がある。板張りの大きな部屋におっさん達が雑魚寝しているだけだが、それでもアスファルトよりは寝心地が良かった。囲まれた、すなわち安心できる空間をいうのは安眠の必須条件なのだろう。ホテルには泊まらなかったが、毎日銭湯で垢を落とし仮眠した。私はその韓国旅行以来、野宿というものをやってないし、今後もやる予定はない。旅行するお金と時間があれば最低でも安ホテルに泊まるの普通だし、金持ち日本人の冒険心を満たすための野宿は一週間で十分だった。

しかし、ヤギ商人の難民は純粋に職業的・経済的理由から野宿をやっている。運転手の話では野宿ということがそんなに大変な事と思われているようではないし、その後もそれに似た話を聞いた。例えば農民は誰でも肥えた土地を耕そうとする。しかしそういう土地は家から遠い場所にあることもあり、そうすると農繁期には遠い畑の近くに掘建て小屋みたいなのを建てて泊り込みで農作業をする場合が多いらしい。小屋といっても林の中に雨よけを作る程度であり、そうすると野宿とほぼ変わらない生活になる。状況は逆だが幼稚園児のころから勉強漬けになり、受験の前には徹夜でがんばる日本人もたくましいと思う。目の前に「利益」という物があると(それがいい会社に入れるということであれ、ヤギやトウモロコシからの収入であれ)人間という生き物はなかなか踏ん張りがきく。

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