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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第四章 バックパッキングⅡ

ストリートチルドレンとの会話


そういう事があっても、朝になると熱い太陽が昇る事には変わりはない。何事もなかったかのように気温は上昇していき、流れ出る汗と共にこの夜の事件は忘れられていった。カルタヘナは飽きない街である。ボートに乗ってプラヤ・ブランカ(白い砂浜という意味)という所に行くと絵葉書にあるような典型的な南国のビーチを体験できる。歴史の街としても楽しめる街で、ここの歴史地区は一九八四年に国連の世界遺産に指定されている。ある日ぶらっと一人夜のカルタヘナの街へ出てみた。ポールとずっと一緒に行動していたためちょっと一人になりたかった。歴史地区を歩くと昼間は太陽の光を眩しいくらいに跳ね返していた水色の壁が街灯に淡く照らされていた。昼間の色彩豊かな雰囲気とはうって違って落着いており、カルタヘナの違った一面を見せられた気がした。広場の真ん中に像が置いてあり、その横に座って夜の歴史地区を楽しんでいた。

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気がつくと近くに中学生くらいの若者が二人座っていた。別になんの変わったところもない普通の少年達である。ひと気のない広場で三人だまって座っているのも不自然で、何となく会話が始まった。彼等の話によるとこの広場は夜間だけ近くのクラブのための駐車場になるらしかった。彼等はここで車がいたずらされないように見張っており、あとでクラブのオーナーから小遣い銭程度のお金をもらうとの事だった。そして会話が進むにつれて分かった。彼等はストリートチルドレンだった。

最初この言葉を聞いた時びっくりして信じられなかった。彼等は我々が通常イメージするようなストリートチルドレンとは違っていた。物乞いをしているわけでもなく、犯罪に走っているようにも見えなかった。服装も特に不潔だという訳ではなく、最初に彼等を見た時は普通の少年達が街の広場で喋っているだけにしか見えなかった。しかし彼等といろいろ話しているうちに私がいかにステレオタイプでもってストリートチルドレンを理解していたかという事を思い知らされ、それと同時にいろんな事を学んだ。

まず二人とも孤児ではなく家庭の問題でストリートチルドレンになっていた。離婚した母親が子供を連れたまま他の男と再婚すると、子供は義理の父親の下で育てられる事になる。そういう状況では父親は義理の息子を疎ましく思うようになるし、その状況で新しい子供が生まれたりする家庭環境は最悪になる。チリの孤児院で何度も聞いたストーリーである。この二人も例外ではなかった。

最初はちょっとした家出くらいだったらしい。親にとっても他に子供がいるし、食い扶持が一人減るというのは悪い事ではない。さすがに親は明確に「出て行け」とは言わなかったが、それでも彼等は自分の家に居づらかったらしい。二、三日家を空ける程度だったのがだんだんエスカレートして最終的には路上生活者になった。今でも稀に家に帰ることはあるらしいが家の中に居てもディスコンフィアンサ(Disconfianza)を感じると言っていた。ディスコンフィアンサとは「親密さのない」とか「信頼されてない」という意味である。この言葉で彼等が自分の家族からどんなあつかいを受けているか想像がつく。

これがストリートチルドレンの悲しいところである。貧乏で腹いっぱい飯が食えず、学校にいけない子供というのは発展途上国では多いかも知れない。しかしそれに加えて家族が子供へ愛情を注げないというのはもう悲劇である。しかしそんな自分達の境遇を不幸と思ってないかのように彼等の説明は淡々としていた。

そして失礼だとは思ったが正直に聞いたことがある。彼等がストリートチルドレンとしては奇妙と言えるほどこぎれいな格好をしている。ストリートチルドレンやホームレス達は汚いというマスコミの典型的な報道しか頭になかった私にはその事が不思議でならなかった。ストレートな私の質問に対して彼等は別に気を悪くする様子もなく的確に答えてくれた。

「そうだね。ホームレスといってもいろいろいるよ。俺達は金がある時は石鹸を買ったりして体を洗うし洋服も洗う。でもよく考えてない奴らは酒を買ったりドラッグに溺れたりするんだ。」

この説明を聞いたとき目の前の霧が晴れていくような感覚を覚えた。社会を見る上でこれほど深い見識を与えられた事はなく、彼が単に説明するつもりで言った一言が私に重要な事を教えてくれた。それは人間社会の多様性ということである。この地球上に存在している大半の社会やコミュニティーには貧富の差があり経済的・社会的権力の差がある。いかなる社会にも金持ちがいるし権力者もいる。また反対に貧しい人がいたり蔑まれたりする人がいる。それはストリートチルドレンのコミュニティーでも同じだった。ストリートチルドレンという精神的にも肉体的にも過酷な状況では酒や麻薬に逃げて当然だし、実際そうい子供もたくさんいる。しかしそうならずに自分を律している子供達もいるし、その事は社会の最下層においてさえも人間の多様性が存在しているという事を明確に物語っている。

そして今になって考えると、私が訪れた社会やコミュニティーは全て貧富の差があった。カミノ・インカのポーター達がそうだ。彼等が語ってくれた貧乏人は怠け者だという話、怠け者は昼間っから酒を呑んだくれているという話、そして怠け者は結婚できないという話。アンデス山脈の真中にあるグアンデラに関してもそうで、一部の農民は車を持つほど裕福だったが、そうでない農民は貧しい生活を送らざる得なかった。メヘバにしてもそうだ。難民が一般的に貧しいというのは正しいが、誰もが同じくらい貧しいと思うのは間違いだったし、難民のあいだでも貧富の差がある。

私の思考がアンデスやアフリカを駆け巡っているあいだ、カルタヘナのストリートチルドレンの二人は喋り続けていた。彼等の生い立ち以外は何を語り合ったのかは今となっては思い出せないが彼等の自然な語り口だけが印象に残っている。そして最後に別れる時に、その自然な語り口のまま彼等は言った。

「いいねぇ。お前は俺達に対して尊敬した喋り方をしてたよ。」

この一言はきつかった。人間社会の醜い臓物を見てしまったような気がした。私は別に彼等を特別に尊敬した喋り方をしたわけでもなく、普通に喋っていただけである。しかし道行く人々はホームレスである彼等を蔑んでいるだろうし、軽んじた口のききかたをするのだろう。そんな彼等にとって私が普通に喋るだけで尊敬されているように感じたのだろうし、それが嬉しかったのだろう。家に帰れば家族から冷たく扱われ、路上では道行く人々から軽く扱われる。そんな彼等の人生をこの一言ほど端的に表している言葉はなく、人間社会の冷たい一面を明確に表していた。

植民地時代のカルタヘナは南米の財宝を本国へ積み出す港だったという。それをねらって海賊が横行したらしく、近くには大きな砦があり街の周りは頑丈な城壁に囲まれている。数百年前には大勢の血を吸ったであろう石畳の上での会話は終わった。カルタヘナで流された血も、彼等の不幸な生い立ちも、カリブのそよ風が吹き流しているかのような平和な夜だった。その後何度かこの広場で彼等を探したが、二度と会う事はなかった。

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