第二章 チリ共和国
スペイン語ゼロから始まったチリの生活
最初にチリに住み始めた時は大変だった。私は当時スペイン語を全く解さず新聞も辞書片手にやっとどうにかなる程度だったし、当然アパートの探し方も知らず会話能力もゼロだった。「まあどうにかなるだろう」という楽観主義でチリに渡ったのはいいが、実際着いてみると言葉の問題というものがひしひしと迫ってきた。スーパーで物を買うのにも困るのにアパートを借りるというのは至難の業である。
ただ、幸運というのはどこに落ちているのか分からないものである。チリに着いて一週間くらいは安ホテルに泊まっていたのだが、ある日留学先のチリ大学の留学生室でデンマーク人の女の子と知り合いになった。彼女は英語もスペイン語も堪能なので会話は当然英語だったが、お互い留学生ということもあり会話は弾んだ。思い切ってアパート探しを頼んだのだが彼女には本当にお世話になった。朝から新聞の貸し物件欄を片手に電話をかけまくり、アポイントメントを取り、物件の下見について来てくれた。大学は春休み中と言うこともあり時間があったということもあろうが、それにしても身にしみるような親切だった。
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最初に住み始めたのは首都サンチアゴのプロビデンシア地区だ。サンチアゴの東側は主に上流階級の人々が集まっており、プロビデンシア地区はちょうどその東側の地区が始まる所にあった。道は整備され建物は新しいのが比較的多く、ペンキがはがれている家は少ない。そんなところでエクアドールから移民してきた医者とアパートをシェアすることになった。
アパートが決まったら、次は大学で問題が出て来た。私は当然、外国人向けのスペイン語クラスで言葉を学ぶ必要があったのだが、外国語クラスというのは日本の英会話学校でもアメリカやチリの語学学校もそうだが全て能力別クラスである。よって学期の初めには必ずといっていいほど能力テストを受けさせられ、その結果によりクラス分けがされる。私の場合は当然最低レベルで勉強しなければいけないのは分かっていたので、そのテストも気楽に受け結果を待っていた。ところがそのテスト結果にびっくりした。なんと、「貴方のスペイン語のレベルは低すぎて、当語学コースでは教える事が出来ない。」と、言われてしまった。事前にもらったパンフレットをよく見ると、確かにこの大学のスペイン語コースには初級レベルがないと書いてある。一応納得はしたが、今後どうやってスペイン語を勉強したものか途方にくれてしまった。
電話帳を捲り、いくつか私立のスペイン語学校を探した。結構スペイン語学校はあるもので、かたっぱしから電話して時間と予算の合う学校をピックアップし、そんなには高くは無かったのでいくつかコースを取った。昼間は語学学校、夜は近くの図書館で寝る間も惜しんで勉強した。週末も殆んど遊ばなかった。その努力が実り、また英語の素養があったこともあり、半年もすると片言でスペイン語の会話は出来るようになった。次の学期に能力テストを受けたときは上級に近いレベルのクラスに編入された。
スペイン語が上達するにつれて現地の生活にも慣れてきた。食事は自炊していたが、どうしてもメインは日本食になる。米はスーパーで買えるが、照り焼きソースやキッコーマンの醤油などは中国系や韓国系の食料品店に行く事になる。サンチアゴは結構韓国系の移民が多く、彼等はロサンゼルスの韓国系移民と同じ様に衣料品関係の商売に従事していた。当然彼等の需要を満たす食料品店は大きく、日系のインスタント食品から多様なキムチまで品揃えは豊富だった。
チリの交通機関はバスである。サンチアゴには近代的な地下鉄もあるが三本しか通ってないので使う機会も限られてくる。チリの方言でミクロ(小さいという意味。奇妙な事にバスという大きな乗り物を指すのに小さいという意味の単語をあてている)と呼ばれるローカルバスは慣れるまで大変だが、慣れてしまうと使いやすい。いくつかの会社が路線を運用しているが、車体は全て黄色になっているので統一感がある。面白いのは、チリのバスは日本のタクシーのように、車は会社が提供するが給料は売上の一定割合を運転手に渡すという歩合制である。要するに売上が上がれば上がるほど給料が上がるため、各運転手間で競争が生まれる。ある同じ路線のバスがたまたま並んで走るような場合があるとすると、どうしても先を走った方が客は多く乗る。そんな時にはバス同士で競争が始まり、大きなバスが他の車を押しのけるかのように走りはじめる。当然接触事故くらいはよくあるらしい。
そういった売上を上げる事を常に意識しているバスドライバーのために珍しい商売が存在している。やっているのは大体三十代から四十代の職にあぶれたようなおじさんなのだが、彼等が大通りのバス停や信号の近くに立っている。手にはノートを持ちそこに何番のバスが何時に通ったか細かい字で書き込んでいる。大きい通りには十数本ものバスが通りとても頭では覚えきらないからだ。そして、例えば目の前にあるバスが来て信号待ちのために止まるとそれと同じ路線のバスが何分前に通ったかを教え、見返りとして小遣い銭程度のお金をもらう。それも口頭で伝えるのではなく、道に立ったまま他人には分からない彼等独特の手話で教える。どうせ内容は何番のバスが何分前に通ったかという簡単な内容なので手話というか身振りで十分に通じるのであろうが、外国人の私にとってはとても面白かった。運転手はその情報を元に、先行するバスが例えば一分先を走っている場合は追い抜こうとして必死に運転するが、これが十分・二十分前(路線により間隔は違う)を走っているのなら逆にゆっくり走って前のバスとの間隔を空け多くの客を拾おうとする。
バスの中はあまりきれいではなく、バスから降りるといつの間にか手がほこりで汚れているという事もよくあった。途中で物売りが乗り込んできて、アイスクリームやジュースから爪切りや文房具までいろんな物を売ろうとする。ギターの弾き語りなども入ってきていろんな音楽を披露しては乗客から小銭をもらっていく。そんなバスに揺られて三十分もすると私が通っていた大学がある。チリ大学はいくつかのキャンパスに分かれておりその内の一つだった。サンチアゴの中心地から少し離れて静かな場所にあるそのキャンパスの片隅には芝生があり、お金が無い学生達にとっては格好の酒盛りの場となる。チリ大学の学生の大半は中流かそれ以上の家庭の出が多いが、それでも小遣い銭は少ない。通常先進国の学生だとアルバイトをして自分の小遣い銭位は自分で稼ぐのが普通だが、チリの場合だとアルバイトというものがあまりない。簡単な仕事でも普通の大人や高卒くらいの従業員がやっており、大学生がアルバイトにありつけることはあまりない。稀に家庭教師をやっている学生がいる程度である。そのため彼等がバーなどの酒場でパーティーをやる事はあまりなく、週末の放課後ともなると各クラスのグループで芝生の上に集まり酒盛りが始まる。
私は英語学部の学生と仲良くなり、彼等とほぼ毎週酒を飲んでいた。千ペソから二千ペソ(当時のレートで七百ペソが日本円で百円くらい)の金を出し合って酒を買い、芝生でくつろぎながら酒を飲む。ピスコというチリ特有の蒸留酒をコーラで割った飲み物が一番安く人気もある。その次に人気があるのはワインだろう。チリワインは国際的にも高品質で知られ値段もそんなに高くない。つまみは殆んどなく稀にポテトチップスがあれば良い方である。夕方のそよ風を感じながら、いつも同じ仲間と冗談を言い合い、緩やかな時が流れていっていた。
チリの良い所は人間関係である。先進国では、特に都市部では過度に個人主義的になりがちな人間関係もチリではまだ強い絆を保っている。芝生の上での飲み会も主役は酒ではなく、友達であり人間である。お金がない彼等が毎週楽しいひと時を過ごすのを見ているとやはり豊かさという事の本質を考えざるおえない。別にお金が重要でないと言うつもりは全くないし、お金は豊かさを考える上でとても重要だと思う。しかし、人が人である限り人間関係の質は人生の大きな部分を占めるわけであり、それがうまく豊かさに繋がっているのがチリの良い所であろう。
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