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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第一章 メヘバ難民定住地

 小さいお墓が多いアフリカの墓地: アフリカ医療の現場から


メヘバの難民はほとんどがキリスト教徒であり、この定住地のどこに行っても教会がある。中には掘っ立て小屋みたいな教会もあるとは言え中東で興ったこの宗教がこんな所にまで浸透している事を実感できる。ただ教義そのものはヨーロッパのキリスト教と違うところもあり、多少は現地化されている。メヘバにはいろんな宗派があり、わざわざ毛虫を食べるのを禁止している宗派があったり(西洋諸国のキリスト教の教義で毛虫を食する事を論じているとは聞いた事が無い)、一夫多妻制を認めていたりする宗派がある。前者は文明化されていると思われている西欧の食文化に追従する教義だし、後者は現地文化(一夫多妻制は少なくともアンゴラ難民の間では一般的だった)に迎合する教義と解釈する事が出来る。

そして難民定住地にも墓場がある。人が生活している限り死人が出るのは当たり前のことであり、墓場があるのは当然なのだが実際に行ってみるまで想像がつかなかった。実際には普通の広場にお墓が並んでいるだけであり特別珍しくはない。お墓には必ず十字架が立てられており、またその下に人が永眠しているということを示すために人の大きさくらいで土を盛り上げる。葬式には普通牧師さんが付き、当然キリスト教式に進められる。墓場というのはそれだけで陰気くさいのだが、メヘバの墓場はそれ以上の何かがある。 小さいお墓が多い。大人のサイズのお墓に比べて、一目で子供だとわかるような小さなお墓があちこちにある。十字架には死んだ人の名前、生年月日、死亡日付が書いてあるが、よく見ると、

 「一九九五年八月十日 ― 一九九八年五月三十日」

 「一九八九年三月二十五日 ― 一九八九年三月二十九日」 などと書いてある。三歳に満たずして死んだりするし、ひどい場合になると生を享けて四日で死んでしまった生命もあるという事である。 アフリカでは子供が早死にするというのは珍しいことではないが、大人の墓に混じって子供の小さい墓が並んでいるのを目の当たりにするとアフリカの悲しみを視覚的に感じることができる。

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メヘバには簡易診療所が六つあった。診療所といってもアフリカではよくある事だが医学博士号を持った医者が居るわけではなく、クリニカル・オフィサーと呼ばれる大学四年間の医療課程を修了した医務官がいるだけである。看護婦も数人付いているが、基本は体温計や血圧計といった簡単な医療器具で医療活動をやるだけである。医薬品は常に不足していたので我々の団体が必要に応じて各診療所に配給していた。

しかし中には酷い人間もいるもので、その配給された医薬品を横流しして、その売上を着服しする医務官が出てきた。彼としては仕入れ値ゼロの商品を高値で売るわけだからぼろ儲けである。実際、そういった医薬品が市場で出回ったこともあり、それが問題になったこともある。薬の説明書など捨てられており、全部一粒ずつばら売りにされている。「白くて小さい粒は病気に効く」という感覚のみで薬を買って服用する難民がおり、それは医学的にいって危険なことである。大人用の抗生物質や痛み止めをマラリアで体力の衰えた小さな子供に与えたりするとそれだけで命を落とす原因になりかねない。

そういった背景があり各診療所から毎週患者の統計資料を提出してもらっていた。ある診療所で百人のマラリア患者がいたのに二百人分の抗マラリア薬が使われていたらそれは横流しの可能性を示している。またこれはメヘバの疾病状態を常に把握して適切な処置や援助を講じるために必要だった。ある地区でビルハルジア寄生虫病が多かったら、その地区でビルハルジア対策をやる必要がある。例えばコミュニティーワーカーをその地区へ派遣してビルハルジアの予防や簡易対策法について教育活動を行う、といった活動が可能になるのである。

その疾病統計は診断名とその人数や死亡者数を書いてあるのだが、それを見ていてあることに気が付いた。

 診断名 下痢 

 患者数 三十名 

 死亡者数 二名

とある。診断名が下痢というのはしかたがないとしても(正確に言うと下痢は診断名ではなく症状である)それが原因で人が死ぬとはどうしても理解できなかった。それは長い間私の疑問だったのだが、時が経つにつれて少しずつ氷解していった。

ある患者が下痢で死んだとしよう。統計上の記録としての診断名は下痢だけだが、殆どの場合は下痢以外に別の病気と合併症を起こしている。しかも大半は子供である。農作物が不作でまだよちよち歩きの子供が栄養失調になったとする。メヘバの栄養失調ケースの大半はウエットタイプと呼ばれるもので、体は衰弱し手足や顔が水ぶくれのように腫れてくる。そんな時に不衛生な水を飲んで感染症にかかったらそれだけでもう命取りである。激しい下痢と共に体の水分は失われ続け、体の衰弱は止まらず、そのまま死んでしまう。両親に栄養についての基礎知識があれば栄養失調の数は減らせるし、衛生的な生活を営んでおれば子供は死なずにすむかもしれない。また初期の段階から診療所に行けばいいが、往々にして患者が担ぎこまれた時は手遅れの場合が多い。死んでしまえば忙しい医務官も十分な検査が出来ないまま、簡単に下痢との診断名を下し次の患者へ移ってしまう。こうして先進国では想像も出来ない下痢による死亡ケースが記録される。

別の例を挙げよう。雨季になると定住地内に流れる川が増水し、また水溜りも増える。それは蚊の幼虫のボウフラが繁殖する温床になり、結果的には蚊が多量に発生する。マラリアという寄生虫病は蚊を媒介してうつり、その蚊の増加に比例してその患者数も倍増する。雨季は雑草から畑のトウモロコシまで深緑に染まり生命の息吹を感じさせる季節だが、同時にマラリアのために命を落とす人も増える悲しい季節でもある。私もマラリアに罹った事があるが、きつい病気である。発熱、下痢、吐き気、めまい、頭痛、衰弱、発汗、といった考えうるほぼ全ての症状が一度に襲い掛かり、さすがに命の心配したのを覚えている。毎日栄養のある物を食べている二十代の青年でもそうなるのに、現地の子供がマラリアになった時の結果は推して知るべしである。

実際アフリカでは子供の死亡率が高い。援助活動をやっている団体は国連のような大きな団体から私が働いていたような現場でのプロジェクトを推進している団体まで、「五歳以下の児童死亡率」(Under Five Mortality Rate)という統計情報を活動の指針の一つとしている。これは生まれた子供が五歳になるまでに死ぬ確率である。これはその国や地域の医療状況や栄養状況のバロメーターになるし、子供の命を救うという援助行為の達成度を測る指標にもなり得る。

赤道以南のアフリカ、俗に言うブラック・アフリカの国々では五歳以下の児童死亡率は十六・二パーセントである。世界の他の地域と比べてずばぬけて高い。ザンビアやアンゴラでは各十八・六と二十・八パーセントとアフリカ平均より高く、子供が百人生まれると十九人とか二十人ぐらいは五歳になる前に死んでしまうという勘定になる。日本では〇・五パーセントで、それに比べるとアフリカの子供は三十倍から四十倍の確率で死ぬ確率が高いと言う事が出来る。メヘバの五歳以下の児童死亡率に関する正確な情報はなかったが、生活状況から考えて他のアフリカ地域とそんなに変わっているとは思えない。

メヘバの墓場に小さい墓が増えるのもこういった背景がある。簡単な寄生虫病で死んだ子猫もマラリアや下痢で死ぬ子供も同じ事だ。メヘバでは予期せぬ事で命が失われていくし、小さな過ちが重なりあって大きな不幸を生む。私はもっと真剣に子猫の寄生虫を取り除くべきだったかもしれないし、メヘバ中の親は子供に充分な栄養を与えるべきだろう。水を飲ませるときは事前に煮沸殺菌するべきだろうし、マラリア対策も充分にしなければいけない。しかし、それを毎日完璧にこなすというのを求めるのは酷というものだろう。だからこそ子供の命が失われていく。その原因が明確に特定されることがないまま。

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