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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第四章 バックパッキングⅡ

外人ランドで情報収集


モンタニータの後はアンデス山脈を北上した。バーニョという町で温泉につかり、首都キトでコロニアル調の歴史地区を散策した。キトにはバックパッカー地区というのがある。普通の旅行者もいるのだが、そこに集まっていた外国人の大半は若いバックパッカー達だった。その地区にはバックパッカー用の安宿はもとより、インターネットカフェやバーが立ち並んでいる。旅行代理店のチラシは英語だし、レストランはメニューの内容も値段も一見して外国人向けだとわかる。ここに長期滞在してスペイン語を学びたい人のために語学学校まであった。こういう地区は別にめずらしい訳ではなく、バンコクにあるカオサン通りもバックパッカー地区だし、インドのニューデリーにも似たような通りがある。ただキトのその地区には特別の名前がついており、それが可笑しかった。

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グリンゴランディア(gringolandia)という。この言葉はグリンゴとランディアという二つの言葉が組み合わさって出来た造語である。グリンゴ(gringo)という言葉の由来は確かではないらしいが十九世紀末のアメリカ・メキシコ戦争のエピソードで説明される事が多い。当時アメリカ兵は緑色の制服を着ており、彼等がメキシコ領内に入った時にメキシコ兵が「グリーン ゴー ホーム (Green Go Home)」と叫んだという。この言葉がグリーンゴーになりさらに変化してグリンゴになったという説である。現在ではアメリカ人のみならずヨーロッパ人も含めて西洋人一般を指す。元々はアメリカ人を軽蔑した言い方だったが今は必ずしも悪い意味で使われるわけではない。この言葉には白人に対する憧れや、アメリカの南米における影響力の強さやそれに対する反感なども含んだいろんな感情が含まれている。完全な南米スペイン語であり、本家スペインでは使われない。当然お金持ちというニュアンスも含まれており、私自身はグリンゴとは呼ばれた事はないが、ごく一部の人にとっては日本人もグリンゴという語感の範疇に入る事もあるらしい。

ランディア(landia)というのはランド(land)という英語単語のスペイン語版である。英語でランドというと単純に土地と言う意味だが、ディズニーランドにおけるランドのように、テーマパークや遊園地の名前に使われる事も多い。日本語でもXXランドといえば遊園地を想像するように、ランディアという言葉も何か別世界を想像させる言葉である。例えばサンチアゴにはファンタジランディアという遊園地があったし、それは日本語でファンタジーランドと言っても全く同じ語感である。グリンゴランディアという言葉は日本語に意訳するなら「外人ランド」という語感とぴったりだろう。現地の人にとっては高級な店が立ち並び外国人がかっぽする様はまさにディズニーランドのように別世界の感があるだろうし、多少の揶揄をこめてグリンゴランディアと呼ぶのは言い得て妙である。

キトではこのグリンゴランディアのど真ん中にある宿に泊まった。セントロ・デル・ムンド(世界の中心と言う意味)という宿で、オーナーはゲイのケベックカナダ人だった。ここでは毎週月・水・金曜日に桶いっぱいのラム酒のコーラ割が無料で出され、それをもとにパーティーが始まる。みんな二十代前半の若者で旅という共通の目的をもってここに泊まっているので、文化や国の違いを超えて(といっても彼等はほとんど西洋人なのだが)話題には欠かなかった。桶が空になる頃にはみんな赤らめた顔でクラブに繰り出す事になり、あっという間に友達が増えた。

ここの友達からいろいろ話を聞くと、ここにいるバックパッカーというのは二種類ある事に気がついた。一つはキトに飛行機で来てペルー・ボリビアに南下していくタイプと逆にチリやボリビアから北上してきたタイプである。西は太平洋、東はアマゾンの広大なジャングルが広がっているエクアドールでは自然と南北の移動になってしまう。そしてどっちのグループにもコロンビアを旅行する人はあまりいなかった。コロンビアは麻薬に収入源をおいているゲリラグループとアメリカの援助を受けている政府軍との内戦状態が続いており、とても旅行できるような国ではないと思われていた。ただ一部のバックパッカーはコロンビアから南下して来ており、彼等は口をそろえてそんなに危ない国ではないと言う。

内戦中といっても毎日激しい戦闘が続いているわけではない。ゲリラは一部の山岳地帯とアマゾンを支配下においているが別に首都まで侵攻しようとしているわけではなかったし、政府軍も山岳地帯に潜んでいるゲリラに対してどう対処していいか模索している状態だった。コロンビアから来たバックパッカーによるとコロンビア南部は確かに危険だが、それでも夜間をさけて昼間のバスで抜けていけば大丈夫だと言う。彼等の言葉を信じて、当初の予定どおりコロンビアに行く事にした。多少の危険があるとは分かっていたが、旅その物がリスクを含んだ行動である事を考えると小さな問題のように思えた。

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