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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第二章 チリ共和国

暴動の中を歩いてみる


ただ一部の過激学生はさておき、残りの一般的な学生はいたって平穏である。毎年の九月十一日の過激活動に関しては一般的なチリ人もさることながら、大多数の学生もへきえきしていた。社会というのは世界のどこにおいても必ず多様性があるもので、一部の過激派学生が騒ぎを起こしているからといって残りの人々が彼等に賛同していると考えるのは間違いである。そして、チリの学生の中にもいろんな学生がいるのだなという事がはっきりと分かる事が起こった。ニューヨークでのテロが起きて約半年後、チリ中の大学の学生会が連携して、政府に対してデモ行為を始めた。内容は政府奨学金の増額である。前述の通りチリの学生は平均したらチリの中流階級より少し上の家庭の子供が多いというのが私の感想である。かといって彼等が裕福な生活をしているわけではなく、家庭の経済的苦しみを少しでも政府の援助でまかなおうとした彼等の活動は理解できる。しかし政府側も他に国民の税金の使い道はたくさんあるわけで、そう簡単に要求に応じるわけにはいかない。そうこうしているうちにだんだんと学生の不満が積もり活動もエスカレートしていった。

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学生の活動のやり方にもいろいろあった。まずは単なるデモ行為。これは学生が集団で大通りに出て練り歩くわけだが、暴力的になる事はたまにしか無い。私は元々政治的な活動に興味はなく、しかも外国人の私が政府からの援助金をもらえるはずは無いのだが、興味半分でデモに参加した事がある。キャンパスに集まりそこから近くの大通りの交差点を占拠した。学生の数は定かではないが、ざっと千人強といったところか。まったく平和な雰囲気のなかでデモは行われ私の友達などは、「今日この後ビリヤードをやりに行こうよ」、などとたわいも無い事を喋っていたし、なかには道の真ん中でサッカーを始めるグループもいた。

すぐに警察が来て、学生を刺激しないように遠くから監視を始めたが、それと同じくらいにテレビの撮影チームもやって来て学生のリーダーにインタヴューを始めた。内容は人だかりのためになかなか聞こえなかったが、学生が政府からの援助を必要とする理由を説明したり、彼等は平和的にデモをやるだけで警官隊などに対して暴力的になる意思は全く無い事を訴えていたのがわかった。そのうちに今度は責任者格の警官が出て来て学生のリーダーと少し話していたが、それが終わるとその日のデモはとりあえず終わった。マスコミの取材を受けたことで彼等の考えは社会に対して表現できた事もあり、それ以上デモをやって交通を阻害し続けても得る物は少ないという判断だった。

こういったデモに似たレベルの行為としてパロ(Paro:止める・ストライキ、と言う意味)というのをやるし、それ以上にエスカレートするとトマ(Toma:取る・占拠する、と言う意味)という行為にでる。パロは授業のボイコットであり、トマとは学生が大学校舎を占拠しそこで寝泊りする事である。パロの場合はボイコットのみならず、学生運動に賛同してない一部の学生が授業に出る事を防ぐため校舎の入り口をベンチなどのバリケードで防ぐ。なので、校舎で学生が寝泊りするかという点では多少違うが実際外部の者が見た場合はあまりパロとトマの違いは無い。私がトマの現場を訪れたときは、三十人くらいの学生が一つの校舎を占拠しており、トランプをやったり校舎の入り口付近でミニサッカーやったりして暇つぶしをしていた。大学側や警察も強硬手段で学生を排除しようとはしておらず、昔の日本における大学抗争のような殺気立った雰囲気はまったくない。学生会はアルコールを一切禁止しており、過激な事をしている割には秩序だった活動だった。

ただ人間の集団というのは興味深い。集団が大きくなればなるほど一つにまとまるのは難しくなり、いろんなグループが出てくる。穏健派の学生がいるからこそ先述のとおりパロの時はバリケードを築いて一部の学生が授業に出るのを防ぐ必要がある。過激派の学生もいる。今回の学生運動は大多数の良心的で平和的な学生が中心となって進められていたのだが、一部の過激学生は暴力的になろうとするし、そのために警察は常に学生の活動を監視しようとしていた。 ある日、トマのため授業はないと分かっていたのだが学生活動に興味があった事もあり、友達と会うために大学へ行った。バスをおりて大学の方へ歩いていくとキャンパスの周りには緊張感が張り詰めていた。まず、大学の前の道が封鎖されていた。その道をはさんで左側にはカラビネロの機動隊が並んでおり、右側は大学の敷地になるのだが壁を隔てて一部の過激学生が対峙している。昼間というのに人っ子一人通らない道路では学生が燃やした自動車タイヤや火炎ビンが黒煙を上げて燃えていた。

たかを括るというのはこういう事を言うのだろう。私はその道を真っ直ぐ歩きだした。今までチリ人大学生と接してきて彼等が「仲間」である学生に危害を加えるほど狂信的でないと分かっていたし、警察の機動隊に関しても目の前をただ歩いている学生に向かって暴力を加えるような事はしないだろうという奇妙な信頼感があった。警察は以前から必要以上に暴力的になった事に対して批判を受けており、どちらかというと外国人の私にとっては歯がゆくなるくらい受動的だった。稀に右側からは学生の投げた石が、左側からは機動隊の催涙弾が頭上を飛び交った。

 張り詰めた空気から一転して大学の敷地内は平和な雰囲気だった。投石などしているのは一部の学生だけで大半の学生はおとなしくしていたし、機動隊も彼等の行動が大学の外まで広がらないようにしているだけで、過激派学生を不必要に刺激したり逮捕したりしようとはしていなかった。ただ稀に嫌がらせのように催涙弾を敷地内に打ち込んでおり、そのガスが流れてきて困った。催涙ガスは(使用目的を考えると当然だが)無色透明で、ガスが近づくのは分からないし、多少の匂いはあるのでガスが自分の周りに存在するのは分かるとしても、かといってどこに逃げたらいいのかは見当がつかない。私も友達も溢れる涙と焼け付く気管のためにむせいでいた。すこし吸っただけでこうなのだから、まともに吸ったら確かに動けなくなるだろう。

催涙ガスにむせびながら、ここまで国家権力を動員せざるえないほどの行動力を持っている学生達に妙に感心していた。繰り返すが過激派学生というのはチリ学生の中でもほんの一部であるし、残りの学生もさることながら一般市民も過激学生にはへきえきしていた。しかも奨学金増額に関しては、長い間学生達が頑張ったわりには政府から得た譲歩は少しだけだった。しかし、何千人という学生が一つの目標に向かって行動していた事は事実だし、それによって政府は学生達の行動を無視する事は出来なかった。そういった意味では彼等の行動には評価されるべき一面もあるだろう。

ただ彼等の行動がどこまでチリ人一般にとって良かったかというのは疑問に思われた。一部とはいえチリにはまだ貧しい人達がいるし、それに比べると政府がお金を使うとしたら大学生の優先順位は低くなってしまうだろう。特に貧しい子供達の問題は大学生の奨学金に比べたら断然優先順位が高い。彼等の行動は大学生の生活向上のためにはよかったかもしれないが、社会全体を見据えた要求ではなかったように思える。

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