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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第三章 バックパッキングⅠ

自分の民族性への微妙な感情:インド人/アフリカ系アメリカン人の場合


いくつかの例を挙げて説明しよう。先述のとおり私はアメリカの大学に在学していたころインド人の留学生と仲良くしていた。彼等の殆どがインドで生まれ育ち高校まで現地で生活していた人達である。大学に進学する時に初めて渡米してアメリカでの生活を始めていた。教育を受けたインド人の例にもれず英語は流暢にしゃべっていたがそれでもインド特有のアクセントは残していた。服装はジーパンにTシャツだったり、スラックスにトレーナーだったりと普通の服装だが、それでも西洋の感覚からいうと今ひとつ垢抜けてなかった。一部だけだが、インドの香辛料の匂いをプンプンさせている人もいれば頭にふけが散らばっている人もいた。

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彼等とは別にアメリカに移民したインド人の子供達もいる。彼等は生まれも育ちもアメリカで、英語も完璧なアメリカ英語を喋るし服装もロスやニューヨークを歩いている白人と変わるところはない。そんな彼等は垢抜けてないインド人留学生を「こいつらとは一緒にしてほしくないな」と思う場合あるし、また実際インド人留学生を避けていたインド系アメリカ人の学生もいた。そして彼等は国籍的には当然アメリカ人である。卒業すると帰国する事が多いインド人留学生とちがって彼等はアメリカ市民であり、強力で豊かな自分達の国家に対する誇りというものが言葉の端々に出ていたのかもしれない。留学生のインド人と移民の子のインド人は比較的交流が少なかったように見えた。

移民インド人は留学生インド人を避けていた傾向があったが、逆に留学生インド人は移民インド人のことをエー・ビー・シー・ディーと陰で呼んでいた。これはAmerican Born Confused Daicyの頭文字をつなげたもので、訳すると「アメリカ生まれの困惑したインド人」となる。(捕捉説明すると、デイシー・Daicyというのはインド系移民の間でのスラングでインド人と言う意味。)お世辞にも敬意のこもった言葉ではない。シーで始まる言葉の語呂合わせという事もあるだろうが、移民インド人を困惑した(Confused)と呼んでいる所に彼等の微妙な心理がのぞける。文化的にはインド人であるはずの彼等が白人のように振舞おうとしている姿をみて、自分のアイデンティティーを困惑していると表現するのは言い得て妙である。

アメリカの黒人に関しても同じような例がある。アメリカ留学当時、私は友人の影響を受けてラップを聞きはじめていた。いまでこそラップは市民権を得ていろんな人種の若者が聞いているが、当時はギャングスターラップと呼ばれる初期のラップの最盛期でファンもほぼ黒人に限られていた。ラッパーも元スラムの犯罪者などが多く、実際殺人容疑などで警察沙汰になる事もあった。歌詞は暴力に満ちており、しかも反白人・反ユダヤ人・反韓国人の人種差別ともいえるほど過激な嫌悪感に満ちた曲もあり、必ずしも社会にいい影響を与えるような音楽ではない。しかし新しい芸能の創生期というのは演技者の裸の主張が強烈に表現され、そのために社会一般には受け入れられない事が多々ある。歌舞伎がそうだったし、ビートルズやエルビス・スプレスリーも似たような状況にあった。ラップも例外ではない。ファンである私が聞いても鼻白むような過激で的外れな主張をする時もあるのだが、彼等の生の声は聞いていて楽しいし時には感動することすらある。

そんなラップに自分のアイデンティティーを忘れ白人に迎合している黒人の事を痛烈に批判・攻撃している曲がある。通常アメリカ黒人というのは自分達への誇りと結束力では他の人種とは比べ物にならないくらい高く、普通に生活している限りでは白人に迎合している黒人など見ることはほとんどない。しかしそれでも一部にはそういう人もいるだろう。以下に白人へ迎合する黒人を批判したラップの抄訳を載せる。

題: わきまえろ(True To The Game)

[前略]
オレオクッキー(白人へ迎合している黒人のこと)へのメッセージ
鏡で自分の顔をみてみろ、相棒
そこに映るものが好きか?
お前は俺にいろいろ言う
お前は大魚になりたがってるがかわいい熱帯魚でしかない
黒人はヤッピーになれない
お前はスーツを着て、ネクタイ締めて、高価な服を着る
お前はニグロとつき合おうとしない
お前は白人になろうとしている
でもその白人は陰でお前の事をニガーって呼んでるぜ
だからあきらめな、天才さん
しかも俺のブロークン・イングリッシュを直そうだなんて余計なお世話だ
正しいって事はお前もわかってるだろう
お前は白人じゃないって事が
だからそうケツを緊張させるなって
お前は白人社会には入れない
それでもなぜやろうとするんだ?
その黒いケツで
よお大将
お前は小人より小さい存在なんだ
すべて自分の責任だぜ
オレオクッキー、すこしは理解しろよ、わきまえろ

以上、意味を伝えるために題名と含めてかなり意訳している。また、ラップはリズムと語呂が合わさった独特の感覚が重要なため一部前後の意味上のつながりがわるくなる部分もあるが、そういう所は多少説明的に訳している。

面白いのは、白人に迎合する黒人の事をオレオクッキーと呼んでいる事である。黒いビスケット二枚のあいだに白いクリームがはさんであるあのお菓子の事である。その様を、外側(皮膚)は黒いが中身(内面的なもの)は白いという一部の黒人に掛けて馬鹿にしている。これを前述の日本人女性に当てはめれば黄粉餅といった感じか。

オレオクッキーもエー・ビー・シー・ディーも黄粉餅も裏切り者というレッテルを貼られがちである。しかしインド人だからと言って全員がインド人の様に振舞わなければいけないという事もなく、日本人でも日本社会を嫌いになる自由は認められるべきである。自分の文化に自信を持てないと言う意味で彼等はかわいそうではあるが、これはマイノリティーの一つの自然な姿でもある。自分の人種の友達に敵対的になることがある子供の姿というのは大人の社会でも在りえるし、既存の文化に適応する必要のあったリーダー格の子供と同じようにマイノリティーも多数派の文化に適応する必要がある。

そう考えると日本人女性に悪口を言われてもそれほど気にはならなかったし、逆にイギリス社会に順応している彼女の姿は自然な事にさえ感じられた。しかし彼女の態度は終始変わらなかった。彼女は日本の文句を語り続け、私はそれを聞き流し続け、イギリス人の友達は話題を変えようとむなしい努力し続けていた。

結局彼女に会ったのはこれが最後である。同じホテルにいたので顔を合わせる事はあったが特別に会話を交わすという事はなかった。二三日すると次の場所へ移動するためラパスを発ち、この女性はマイノリティーの一典型として私の記憶に残る事になった。

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