JC Communication
本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

筆者へのコンタクトはここをクリック。

会社HPブログ もどうぞ。
JC Communication
JC Communication JC Communication

第五章 エクアドール共和国

ジャングルの自然保護団体


エクアドールという国はきれいに三つに分かれている。国の真ん中をアンデス山脈が走り、西側が太平洋で東側がアマゾンである。首都キトはアンデス山脈にあり、そこから南東へバスで五時間くらい行くとテナという町がある。バスを乗り換えさらに一時間くらいジャングルの奥へ進むとハトゥン・サッチャという団体の自然保護区がある。政府の保護区ではなくて、この団体の私設保護区なのだが規模はけっこう大きく、この地域でハトゥン・サッチャといえば誰でも知っていた。この辺りは世界有数の降雨量を誇っている。アマゾンから流れて来る湿った空気がアンデスの高い山肌に当たり上昇する。水分をたっぷり含んだ空気が数千メートルのレベルにまで上昇した時の降雨量はすごい。滝のように水が落ちてくる。かと思うとからっと晴れ上がり、しとしとと降る日本の雨とは全くちがっていた。

www.flickr.com

ハトゥン・サッチャは常時二十人くらいのボランティアが活動しており、現地人ワーカーの指示の下、自然保護活動を行っていた。メヘバでは外国人である私達日本人が活動の指揮を取っていたわけだが、ここでは全く逆になっていた。ボランティアはバックパッカーと同じで西洋人が中心だった。大半がヨーロッパ人でアメリカ人とエクアドール人が少し混じっていた。彼等の殆どが二十代前半の若者であり、自然保護という同じ目的を持った同じ世代の人間が共同生活をするのは一種の修学旅行のようで退屈しなかった。

敷地の真ん中に食堂と事務所があり、ボランティアは周りに散らばっている四人用のバンガローに別れて寝起きしていた。窓は風通しを良くするためと変な虫や小動物が入ってこないようにするために金網を張ってあるだけである。湿気がひどく、持っていた物のほとんどにカビが生えた。財布からバックパックまでカビだらけになったし、また一番まいったのはカメラのレンズにカビが生えてしまった事である。肉体作業が続くと汚れた服を何度も着る事があったが、そのティーシャツも短パンもカビてしまった。洗濯物は乾かず、湿った状態で着る事も多かった。

我々の活動は多岐にわたっていた。植林もやったし近くの村で環境に優しい農法の普及にも努めた。作業は肉体労働になる事が多く、三度の食事がこれほどありがたいと思ったことはなかった。食事は現地人コックが作っていたため大半はエクアドール風だった。バナナはエクアドールの主食でありほとんどの食事に出てくる。スライスして油で揚げたバナナチップから茹でたバナナや、またはスープの具にしたりとバラエティーに事欠かない。これは食文化というのは豊富にある食材を中心に発達するという古典的法則をそのまま表している。オーストラリアではカンガルーの肉を食うし、日本では米から酒やせんべいなど様々な食品を作るのと同じである。バナナの種類も豊富にあり生で食べられる品種もあれば火を通さないと食べられない品種もあった。

最初にジャングルに入った時はあまり感動がなかった。雑誌で見たような世界が広がり似たような樹木が並んでいるだけにしか見えなかった。ジャングルに入れば物凄い世界が広がっているはずだという過度な期待をしていたのかもしれない。しかし回数を重ねるにつれてこの複雑な生態系をなしている世界を理解し、良さが分かるようになった。ジャングルといっても単一な世界が広がっているわけではない。私がまず学んだ事はここには一次森林と二次森林の二種類があるという事である。一次森林とはアマゾンが生まれた時から続いているような本来の熱帯雨林である。二次森林とは人間がジャングルを切り倒して畑などを耕した後に何らかの理由で放棄された土地が二十年や三十年後に元のジャングルのように樹木が育った森林をさす。ハトゥン・サッチャの地域はアンデス山脈の諸都市や州都にあたるテナといった人口が比較的多い地域と近いため、そこから殖民してきた人達などが多い。周りにもいくつかの集落があり彼等がジャングルを切り倒す事も多々ある。いったん切り倒されたジャングルは樹木が育つのは早いが完全に元の姿に戻るのは数十年・数百年といった単位の時間がかかるし、そのため一次森林と二次森林には微妙な違いがある。

まず一次森林であるが、当然の事ながら大きな樹木が多い。樹齢数百年と推定される巨木が見られる事も珍しくないし、それ以外の樹木もある程度の高さがある。これらの樹木は高さ二、三十メートルの所で枝と葉っぱを密に張り巡らし日光を遮っているが、この事が一次森林を大きく特徴づける要因となっている。日光が遮られているため一次森林の内部では光の量が足りず、ある程度成長した高い樹木以外にはあまり植物がない。気温も高くない。光の量が足りないので写真を撮る場合には感度の高いフィルムを使う必要がある。よくジャングルの植物を描写して樹木が「うっそうと繁っている」という表現がなされる時があるが、一次森林に関しては正しくない。足もとには雑草が生えているがそれは足首程度の高さしかないため、頭上を覆っている枝葉の屋根の下には結構突き抜ける空間がある。現地インディヘナ文化にはジャマニズムが根強く生きているが、シャマンは森林の奥深くに入って神に会うという。薄暗く静かで、木の幹が頭上に伸びている以外は神秘的な空間が広がっている世界は確かに人間をして敬虔な気持ちにさせる。

二次森林はその逆である。樹木が生長し始めてあまり年月が経ってないのでどれも同じくらいの大きさの木が並んでいる。巨木がある事はない。頭上を覆っているべきである枝葉の屋根はまだ成長が充分でなく隙間がたくさんあるし、そこから洩れてきた光が地上の植物の成長を可能にする。この場合には「うっそうと繁る」という表現が正しく、膝や腰の高さまで成長した植物が限られた日光を巡って競い合っている。

 都市というのがある。規模が大きく多様性に満ちており、他の地域からの人口流入が多い。私は大学を卒業して東京に住み始めたが、人と建物で満ちているこの海原で迷う事も多かった。特に東京や新宿などの駅は巨大で出入り口も無数にあり、コンクリートの柱やスポーツ新聞を売っている売店がどれも同じに見えてくる。しかし慣れとは便利な物で、数ヶ月経つと売店の場所や柱に貼ってある広告の位置など微妙な違いを手がかりに自分が歩いている場所がわかるようになった。アマゾンも同じである。最初はどこを歩いても同じにしか見えなかったし、一次森林と二次森林の違いも見分ける事ができなかった。が、慣れてくると植物の繁り方の違いが分かるようになったし、小道の曲がり具合や巨木の位置などで大体自分がどの辺りを歩いているのか想像がつくようになった。

www.flickr.com
Copyright © 2009 JC Communication. All rights reserved.