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本エッセイは、株式会社ジェーシー・コミュニケーション代表の山本が、世界で体験してきた国際交流のエッセイ集です。49ヶ国/9年分の旅行や海外在住体験がつまってます。

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第三章 バックパッキングⅠ

世界で一番美しい場所:ウユニ塩湖


そのツアーは現地で知り合った友人達と申し込んだ。ロンドン在住の日本人女性、ドイツ系スイス人の青年、そしてそのスイス人を通じて知り合ったイギリス人の中年夫妻の計五人である。それに現地人運転手兼ガイドと彼の奥さんが料理人として付いて来ていた。そこにはいろんなツアーオペレーターがあったが、そのスイス人の友達が聞いた話によるとボリビアのツアーオペレーターがいいという事だったので我々全員が彼が見つけたボリビアのオペレータに申し込む事になった。よって運転手も料理人もボリビア人である。

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初日は朝荷物を積み込む事から始まった。五人分のバックパックと七人の三日分の食料を積むとランドクルーザーの屋根はいっぱいになる。助手席には運転手の奥さんが座り、後部座席に三人とそのまた後ろに二人乗り込むと車内も満杯である。アタカマを出発すると最初はきれいに舗装された道を行く。途中でその舗装道路を外れて砂利道なのかただのわだちなのか分からないような道に入っていくのだが、そのとき運転手が

「この砂利道を行くとボリビアに行くが、舗装された道を行くとアルゼンチンに行くんだよ。」

と言った。

それを聞いて一同どっと笑った。通常バックパッカーというのは自分が訪れる国や地域のことは何らかの手段で多少は調べて知識として蓄えている。また仲間との会話で自然に国の実情も分かって来る。我々も例外ではなく、ボリビアが南米で最貧国の一つであるという事も知っていたし、逆にアルゼンチンが裕福であるという事も知っていた。ここでおかしかったのは、ボリビアとアルゼンチンの社会の実情を道路の状態までが象徴していた事である。今思うと、その事をボリビア人の彼の前で笑うというのはどうかと思うし、客であるとはいえ自分の国を裕福な隣国と比べて笑われるというのは気分のいい事ではないはずである。しかしその時はそんな事まで考えが及ばず、私もみんなと一緒に単純に笑ってしまった。失敗したと後悔したが彼等はその後も我々に自然に接してくれ、その事が私の罪悪感を軽微なものにしてくれた。

最初に着いたのはラゴ・ベルデ(Lago Verde:緑の湖と言う意味)という所である。野球場五、六個分だと思うが、それくらいの大きさの湖が広がっている。湖水は深みのある黄緑色でなんともいえない風格を持っていた。アタカマも含めてこの辺り一帯は火山地帯であり、その湖も火山からの化学物質(酸化鉄か銅だったと思う)が水溶したために湖水が緑色になっている。面白いのは風が吹くと湖水が攪拌され、湖底に沈殿していた物質が浮き上がり湖の色が変わることである。我々はそこに一時間程度しか止まっていなかったのだが、幸運な事にちょうど出発しようとした直前にそよ風が吹き始め湖の色を変え始めた。湖面に細波が立ち少しずつ色が変わっていく様は神秘的だった。周りの風景はすべて赤茶けた岩と山肌で、そのコントラストさえも美しく見えた。

初日の夜は標高四千三百メートルの所で宿泊だった。富士山より高い。車から出るだけで身を切るような風が服の隙間から入り込む。西洋人のバックパッカーは寝袋を持ち歩いて旅をする事が多いが私は荷物になるのでそんな物は持ってなかった。寒い夜は宿の人に頼んで毛布を一枚多く借りればいいし、それでもだめだったらトレーナーなどを着て寝ればいいだけなので寝袋がなくても困った事はなかった。しかしこの夜だけは後悔した。出来るだけ洋服を着込んで、なおかつ借りられるだけの毛布を借りて寝たのだがそれでも寒かった。また私は高山病になりやすい体質なのか、周りの人は大丈夫だったのに私だけ頭痛とだるさに苦しんでいた。

次の日も、木の形をした岩とか高山に住むウサギの一種を見たりしてツアーを続けた。初日ほど圧巻ではないにしてもアンデスの山並みを背景として砂漠が広がる風景は他ではちょっと見る事のできない価値のあるものだった。その夜の宿泊所も寂れた所だった。こんなところに普通の宿泊客が来るはずもなく初日同様このツアー客のためだけに作られたような所である。ただへんぴな村にある割にはきれいなベッドが置いてあり、遠くの町から運んでくるのであろう貴重なプロパンガスで熱いシャワーが浴びる事が出来た。またその村には近くにバーがあるとの事だったので食後に皆で出かけてみた。バーの中は真っ暗だったが声をかけると主人か主人の息子か分からない人が対応してくれる事になった。店の中には埃をかぶった申し訳程度の調度品が置いてあり、それがなかったらとてもバーだとは分からないだろう。蝋燭の光の下、我々はホットワインで体を温めながら様々な話に花を咲かせ、その話が尽きたところで二日目の夜が終わった。

それはウユニ塩湖という。最初はイスラエルとヨルダンの国境にある死海のように塩分の高い湖だと思い込んでいた。しかし実際は全く違い、液体の湖というよりも塩がコンクリートのような硬さで地面に固まっている。その固まった塩が湖における水のようなとてつもない量と深さで大地を覆っており、またそれが地平線まで続いている。要するに琵琶湖の数倍の広大な湖を想像し、その湖水をそのまま固まった塩に置き換えるとよい。この三日間の現地ツアーはそのウユニ塩湖が最大の目的だった。

その日の朝はまだ暗いうちから起き出し、電気が来てないので発電機を回しながら明かりを灯して出発の準備をした。最初にウユニ塩湖に着いた時もまだ太陽は登っていなかった。季節によって上下するらしいが、我々が訪れた時はむこうずねくらいの深さで水(といっても塩水だが)が塩を覆っており、その湖上をランドクルーザーで突っ切って行った。低速で進んではいたが水は車の両側に大きく跳ね上がり小さなヨットが湖面を滑っているような感じだった。

そのうち空がだんだんと白んで来て、とうとう夜が明けた。空気が乾燥しているせいか頭上にも地平線付近にも雲ひとつなく朝日が一段とまぶしかった。明るくなると周りがよく見えるようになり、自分たちが別世界にいるという事が分かった。三百六十度どこを見回しても塩の白色で囲まれている。そしてその白が地平線まで伸びており、我々は強烈な白の世界を体験していた。果てしなく白が広がっていた。空も真上こそは青いが地平線に近づくにつれて薄い水色になっていく。空と塩湖の表面が接しているところではその二色がうっすらと交わり地平線がよく見えなかった。我々は白塩の広大さと空の吸い込まれるような青さに挟まれていた。衝撃的な体験だった。こんな景色は見たこと無かったし、様々な所を旅行したがこんなに感動した事も無かった。

そしてこの私が受けたこの衝撃というのは現代社会の一面を現していると思う。二十一世紀の先進国に生きている我々は例え教育を受けてない人達でも大抵の物は写真かなにかで見た事があるし、多少の知識をもっている。グランドキャニオンやアルプスはどこの国でもカレンダーの写真になっているし、ピラミッドやエアーズロックは例え本物を見た事がなくても雑誌やテレビで見た事はあるだろう。よって実際その場を訪れて見学する時にはすでに脳みそのなかに自分が見るべき物が想像されてしまっている。特にナショナルジオグラフィックのような写真にこった雑誌には息を呑むような写真がいくつも載っており、ひどい場合には写真やテレビで見た映像の方が実際に現場で見るよりきれいだという場合がある。例えばグランドキャニオンを訪れた時には事前に見ていた写真やポスターの画像が良すぎて、実際には期待したほどきれいな景色だとは感じられなかった。その点ウユニ塩湖は全く反対だった。今回のバックパックを始める前には見た事も聞いた事もなく予備知識はゼロだったし、それ以前にこれに似た景色さえも見た事はなかった。よってウユニ塩湖で受けた感動はひときわ大きく、ランドクルーザーで横断しているあいだ中ただひたすら圧倒され続けていた。

この日はウユニ塩湖だけを見て終わった。湖は広大な上に車はゆっくり走っているので思った以上に時間がかかる。塩湖を出て近く町に着いたら三時すぎていたと思う。その日は一日中車で塩水の中を走っていたので車が塩だらけになっており、町に着いたら運転手の最初の仕事は車を入念に洗う事だった。時間をかけて洗うといっても限度があり、他のツアーが使っている車の中にはサビでボロボロになっていたものがいくつかあった。

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