第三章 バックパッキングⅠ
マチュピチュへの道
カミノ・インカ(カミノというのはスペイン語で道という意味)の二日目は一番きつい一日である。昼休みや小休止はあるにしても朝から午後三時くらいまで山肌を登りっぱなしだった。さすがに疲れてゆっくりと歩いていると女性のポーターが大きな荷物を背負いながら脇を追い越していった。年のころ十五、六。視線は進行方向にある尾根の頂上に据えられており真剣な表情で登っていた。彼女は正規のポーターではなく、この辺りに点在する農家から駆出された臨時の手伝いだろう。二日目の難行程では自分の荷物さえもポーターに預ける客がいるため臨時の手伝いが必要になってくる。しかしいくら土地の娘だったとしてもまだ高校生程度の女の子である。成人男性でも時として登り切れない事がある山道を荷物を背負って登っていくのを見ていて馬鹿なことやるものだと思ったし、そんな娘まで肉体労働に駆出してしまうお金の力というものがすこし疎ましく思えた。
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あるいは馬鹿なのは私の方だったのかも知れない。人間というのは年齢・性別・職業・社会的地位などの先入観で他人を勝手に判断してしまうがそれが常に正しいとは限らない。この場合でも山道に慣れた彼女の肉体的能力は成人男性より上かも知れないし、もしそうなら彼女がポーターをする事は自然な事でさえある。しかも荷物運びは貴重な現金をもたらすのだから。
彼女は確かな足取りで私を追い抜き、他の旅行者を追い抜き、さらに差を広げつつ登ってゆき、最後には見えなくなった。細い小道を登り尾根に差し掛かる所で後ろを振り返ると、百人を超すバックパッカーが蟻の様にならんで山肌を歩いているのが遠目に見えた。人里はなれたアンデスの雄大な山並みを背景に世界中の金持ち国家から来た人々が汗を流しつつ山を登り、現地の娘は彼等の荷物を運んで現金を得るという様は面白いコントラストだった。
道の途中には所々にインカの遺跡が残っており、自然にインカ時代の雰囲気に浸れた。確かに楽ではないトレッキングだが、それでもアンデスの山々は疲労感を吹き飛ばすほどの存在感で迫ってくる。サイズがでかい。山肌を歩くと谷を隔てて向こう側にある山との空間が広いために自分が小さくなっていくように感じる。尾根に立つと周りの山の頂上が見え、そのまた向こう側には別の山頂も見え、そしてその間からは永遠に続くかのように山々が遠ざかりつつ列なっている。足もとを見ると谷底に雲が満ちており山が浮かんでいるように見える。山頂にある万年雪の白が山裾と下るにつれて山肌の色に変わってゆく。アンデスの色と空間と造形の芸術に浸りつつ私たちは歩を進めることができた。
三日目は平坦だが四日間の中で一番長い距離を歩き、夜は小さいインカ遺跡の中にテントを張って寝た。四日目の朝は暗いうちから起きてマチュピチュを目指した。最終日は遺跡見学がメインなので歩く距離はほとんど無い。まずこの遺跡を見下ろすような尾根から朝日がさすマチュピチュを見た。そのあと実際に見学を始めた。マチュピチュ遺跡は確かに保存状態も良く回りを谷に囲まれているという明媚な位置にあるので有名であるが、歴史的にはインカ帝国の一小都市に過ぎない。石造技術もクスコの精密さに比べていま一つ劣るような気がした。この日は自由行動なのでいろいろ歩き回ったがそんなに広い遺跡でもなく、午後は芝生の上で昼寝をして時間をつぶした。期待以上のアンデスの風景を見た後、期待したほどでもなかったマチュピチュ遺跡を見学したこのトレッキングはこうして終わった。
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