第四章 バックパッキングⅡ
12歳は子供を産む年齢か?
日が経つにつれてモンタニータのいろんな部分が見えてきた。この村には欧米人バックパッカーが結構滞在しており、彼等のニーズを満たすためインターネットカフェがあった。特にホットメールが出現して以来インターネットカフェはバックパッカーの必需品になっており、こんな田舎の村でも好きな時にメールが出来る環境にあった。
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またここの村人の一面を垣間見る事もできた。コロンビア人のアルテサノは相変わらずイネスおばさんの家の前に陣取っていたので私も同じ場所でたむろする事が多かった。自然と彼女の家族とも仲良くなった。彼女には三人の子供がおり、小学校高学年くらいの長女、五歳くらいの長男、そしてまだ生後数ヶ月くらいの赤ん坊の女の子がいた。長男は四六時中元気に遊びまわっており、遊び相手がいなくなると私のところへやって来てじゃれ付いていた。イネスおばさんの家の入り口は広い土間のようになっておりそこにハンモックを吊るし、赤ん坊はいつもそこで寝ていた。お母さんが前の食堂で働いているせいか赤ん坊はほったらかしだったが、薄暗い空間につるされたハンモックの中でいつも平和な笑顔で寝ている赤ん坊は充分に幸せそうだった。お母さんの代わりに長女が時々やってきては優しくハンモックを揺らしていた。
長女はおませさんだった。かといってお喋りではなく、どちらかというと落着いた彼女の言動にはもう大人の雰囲気がただよい始めていた。いつも自分の家の前でたむろしている日本人を奇妙に思っていたのか興味があったのか、私が話しかけるといつも嬉しそうに、しかし的確に返事をするような女の子だった。ある日、昼間だというのに学校に行ってないようだったので彼女に聞いてみたことがある。
「学校は行ってるの?」
「ううん、もう卒業したの。」
「ふーん、そうなんだ。年はいくつ?」
「十二歳。」
彼女は十二歳でもう学校に行ってないという事実を少しも不自然だと感じている様子はなく、ただ事実を伝えるためだけに言葉を発していた。しかし私は子供は学校に行くべきだという先進国の感覚から抜けきれず、なんだかいけない事を聞いたような気がした。埋め合わせというわけでもないが、彼女の良い所を誉めてあげたくなり、そんな私の頭に浮かんだのはいつもかいがいしく妹の世話をしている彼女の姿だった。
「十二歳なんだ。もう大人なんだね、偉いね。だから赤ん坊の面倒もきちんとみているんだね。」
と私が言うと、彼女は数学の女教師が生徒の間違いを指摘するかのように端的にしかし優しく言った。
「違うの。あの赤ん坊はママの子よ。」
最初にこの言葉を聞いた瞬間はちょっと戸惑った。が、やがて何を言わんとしているのか分かった。彼女は私が「大人だね。だから赤ん坊の面倒を見ることが出来るんだね」という私の言葉を「大人だからもう自分の子供がいて面倒をみているんだね」という意味にとったのだ。単純なミスコミュニケーションだが、その理由というのは色々あるだろう。一つはもう大人だから子供の面倒をみる、というのは発展途上国では一般的な感覚でないという事である。子供だってよく赤ん坊の面倒をみる。アフリカでは小学校低学年くらいの女の子が背中に赤ん坊を背負いながら友達と走り回って遊んでいるのを見るのは珍しくないし、また男の子が赤ん坊を背負いながら畑を耕す事もある。それに比べればもう学校に行ってない彼女が赤ん坊の面倒を見るのは自然で当たり前の事とさえ言えるし、それを「偉いね」と誉めようとしても通じないだろう。もう一つの理由は、発展途上国では子供を産む年齢が早いという事実である。特に田舎では中学や高校まで行かないのはよくある事でもあるし、十二歳の彼女にとっては二、三歳年上の友達の中にはもう子供を産んでいるのがいても不思議ではない。そんな中で「もう大人だから子供の面倒を見ているんだね」と言われたら、周りの友達と一緒にされていると思うのも当然だし、「私の子じゃないのよ」と指摘するのも自然な事だろう。
彼女の言葉ほど異文化コミュニケーションの難しさと面白さを痛感させられた事はなかった。意表をつくような彼女の言葉で彼女達が住んでいる世界を垣間見たような気がしたし、それがまた新鮮だった。彼女は次の会話を待っているのかのように無垢な目で私を見つめており、ふくらみ始めた胸が大人の香りを漂わせていた。
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